お祭りについて


毎年四月七日に執り行われる印鑰神社春季大祭「鮒取り神事」は御祭神の「蘇我石川宿禰」(そがのいしかわのすくね)が凶徒平定の為この地に来られた時悪天候で海が荒れ魚が取れず地元の若者達が鏡ヶ池に飛び込み鮒をてづかみにして献上しもてなしたと言う故事にならい現在も行なわれている







大祭の日には神幸行列が街中を練り歩き奉納の神馬が各家々を廻り午後二時頃に鏡ヶ池へ到着して御神輿は池を見渡す祭壇の上に据えられるその後お神酒の入った数十名の若者たちが威勢よく鏡ヶ池に飛び込み鮒や鯉を手掴みで捕まえ観客のいる池の周囲に投げ上げられる







その際一緒に投げ上がる池の泥にあたると無病息災・厄除厄払のご利益があると昔から言い伝えられている。また取れた鮒は御神輿の祭壇に供えられその後神社神前にもあらためてお供えをされる







フナ取り神事が執り行われる鏡ヶ池はその昔周囲六q程もあり旧鏡町鏡村の発祥の中心であり、天保時代肥後の池の第一段に選ばれ、和歌にも詠まれた名勝地であったと伝えられている。現在神事の執り行われる鏡ヶ池は八代市の「鏡ヶ池公園」となり市民の憩いの場として親しまれている








下記よりは鏡ヶ池にある八代市史跡掲示板の内容より抜粋


市指定史跡 鏡が池
 
 鏡が池は、鏡という地名および鏡むらという集落の発祥地である。古代日本語によるとカガとは芝原、ミは水または泉で、大昔の地形によって固有名詞となったのである。人は水のわくところに集まって住むが、この池の周辺にまず鏡村ができた。その村が発展して元禄のころには、上鏡村、鏡村、町鏡村と分かれ、明治22年(1889)内田、芝口などを併せて鏡町となり、さらに昭和30年(1955)、鏡町、有佐村、文政村合併後も鏡町として拡大して使用されてきたが、この地方の中心がこの池をもとに発展したことがわかる。また、古代、八代郡倉が近くにあり、中世、印にゃく神社、福善寺が池の近くにあり、特に池の東の福善寺では、相良義陽が前関白近衛前久を招待し、和歌をよみかわし義陽の歌に「水の上に立つ朝霧は曇りても磨け鏡の池の秋風」というのが「求麻外史」に伝えられている。鏡の池は、相良義陽にうたわれたいわゆる、歌枕として、近世、天保のころの肥後の名勝すもう番付「池」の部では水前寺、菱形の池と共に第一段にえらばれている。
 四月七日、印にゃく神社春季大祭でおこなわれるふな取り神事(市指定無形民俗文化財)は、県内でも珍しい行事として毎年大変な賑わいをみせる。





鮒取りを待つ男達





拝殿前に集合
(赤フンは還暦と厄年の人達)






奉納の神馬





祭壇に据えられた御神輿






鏡ヶ池の清祓





鏡ヶ池入り

            

鮒取り神事の様子(動画)






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